Feb26th

FrontPage の変更点


''<田村文洋 概要>''
田村文洋とは、日本のパッカパッカーである。世界各地を旅しており、その際の紀行をブログやノートにまとめている。現在はオーストラリアに滞在しており、インターネットを通じて世界各地の様子を多くの人に発信している。

''<田村文洋 略歴>''
旅行会社に勤めていた両親の影響で、小さいうちから旅行や世界中の国について興味を抱く。小学生のころ、家族旅行で初めてハワイを訪れ海外の良さを知り、それ以来こつこつとお小遣いを貯めて将来世界中を旅することを夢見るようになる。
高校時代もアルバイトに明け暮れ、将来の旅費のために貯金していた。
学生時代に海外トラベルサークルに入り、旅行好きの友人とともに頻繁に旅行に行くようになる。学生時代もサークル活動と勉強以外はひたすらアルバイトをして旅費を貯めた。
大学卒業後は兼ねてから希望だった旅行会社に就職し、多くの人に海外の素晴らしさを伝えるため仕事に没頭する。
しかし、店頭で面と向かって客に海外の良さを伝えるよりも、自分が海外に赴きインターネットから発信したほうがより多くの人に気持ちを伝えられると考え、単身海外に渡る。
その後は現地で食料や資金を調達しながら、バックパッカーとして世界各地を渡り歩いている。

''<田村文洋が影響を受けた人物>''
幼いころ伝記で呼んだコロンブスの「コロンブスの卵」の逸話を知り強く影響を受けている。
・コロンブスの卵の逸話
新大陸発見を祝う式典の中で「誰でも西へ行けば陸地にぶつかる。簡単なことだ」とコロンブスの成功をねたんだ人たちに対し、「誰かこの卵を机に立ててください」といって卵を出した。だれもできなかった後でコロンブスは頭で卵を軽くたたき、へこんだ部分を下にして卵を机に立てた。「そんなことなら誰でもできる」という言葉にコロンブスは「人のした後ではそうでしょう」と答えた。このことから、どんなに簡単なことでも最初に実行するのはとても難しく、発想が大事、逆転の発想という意味で伝わっている。

''<田村文洋がパックパッカーをはじめたキッカケについて>''
現在バックパッカーとして幅広く活動する田村氏だが、彼が日本を1歩でた「世界」に魅了されるようになったのは、学生時代の経験が大きいという。
田村氏は大学の卒業旅行にスーフリの仲間たちと東南アジアへのバックパックを計画し、そしてじっさいに実行に移した。
この時期はまだバックパックについて誰も専門知識を持ち合わせていなかったため、事前準備や予備知識の収集に多少時間をかけられたぶん、とても勉強になったという。またじっさいにバックパック経験のある先輩にも話を伺ってみたそうだが、「一応行く前に予防接種はしておいた方が良い」と勧められたとか。
またこの時先輩には「バックパックの選び方」までレクチャーしてもらったそうだ。まず、スポーツ用品店には必ず直接足を運ぶこと。横着してネット通販で済ませると自分の身体に合わないサイズのバックパックを無理矢理使用することになるので、注意すべき。あと、専門店に行くとスタッフさんに相談できるという利点もあるそうだ。例えば初心者がバックパックをする場合は東南アジアへと向かうことが非常に多いが、そこで心配するべきは「雨季」。現地の雰囲気や歴史を事前に下調べするのも良いが、「まずは目的の国の現状をしっかりと把握すべき」だという注意を田村氏は先輩からされたそうだ。そこで田村氏は専門店に自ら赴き身体にフィットするバックパックと共にレインコートも購入したという。
もうひとつ、田村氏が先輩にアドバイスされたのが「航空券をいかに安く購入するか」。バックパックはいかにお金をかけずに様々な国を見て回れるかが勝負だから、旅先での移動はもちろんのこと、出発時もリーズナブルに済ませるのが最も理想。けれどあまりにも安全が考慮されていない航空会社を選んで危険な目にあっては元も子もないので、そのあたりをきちんと確認しつつ移動手段を絞り込んでいった。

以下は田村氏が先輩から「バックパックに持って行くと便利」とアドバイスされた道具である。
・ライト→懐中電灯だとかさばるので、いざという時すぐに上着のポケットから取りだせるコンパクトなものがベスト。購入の際は明るさをチェックすること。
・ワイヤーロック→「自分の身と所持品を守るための道具を必ずいくつかは持っておいた方がいい」という内容を田村氏は特に先輩に強く言われたとか。ワイヤーロックはちょっと休憩をする際に、手軽に手荷物にセキュリティロックがかけられて非常に便利。「日本人は安全な状況に慣れすぎているからこそ、やり過ぎくらいが丁度いいのかもしれない」と田村氏は考えたそうだ。
・南京錠→これもワイヤーロック同様自分の身の回りの手荷物の安全を確保するために先輩から勧められたそうだ。これらは品質さえ気にしなければ大体100円ショップで揃えられるとのこと。人によってはすぐに壊してしまうそうだが、通常なら数ヶ月は使用し続けられる。ちなみに田村氏の先輩も知人から「絶対に持って行け」と言われ、専門ショップと100円ショップでふたつ購入したそうだ。
・ガイドブック→事前に行き先に関するデータを業者で作成してもらうというサービスもあるそうだが、その場合2週間はかかるため、待てないという方はかさばらない程度にガイドブックを数冊購入することをオススメします。
代表的なものに『地球の歩き方』があるが、それ以外にも行き先や旅の内容に合ったものをリサーチしておくと良いかもしれない。
・タオル→田村氏個人としては「スイムタオル」への憧れがあったので、バックパックデビューには是非とも持って行きたかったものの、先輩からは「イヤ、ふつうのタオルでも充分じゃね?」とばっさり。ちなみにスイムタオルとは、スポーツ専門ブランドなどで扱っている、吸水性と速乾に優れたタオルのこと。
・シャンプーとボディソープ→旅行用の3点セットがよくコンビニに売られているが、バックパックにはシャンプーとボディソープのみの2点でOK。これらがどこのホテルにも充実しているとは限らないし、海外の製品が皮膚にあわない可能性もあるので、使い慣れたブランドを日本から持っていくのが最も理想的。
・モバイルバッテリー→携帯用のバッテリーや充電器は必須!場所によってはバスや電車での長距離移動が多いところもあるので、いつでも音楽プレイヤーが使用できるよう、きちんと準備しておくにこしたことはないのだとか。また、電気がどこにでも通っているとは限らないから、要所要所で電子機器を充電させておくと安心。
・予備の携帯→自宅にある「もう既に使わなくなった携帯」、誰でも1台や2台タンスの中にしまいこんであるでしょう。普段遣いのスマホ1台+予備の携帯を持っておくといざという時安心です。場所によっては海外のほうが日本よりもネット環境に優れていることがあるものの、だからこそ用心にこしたことはないと、田村氏は先輩からアドバイスされたという。
・便利ナイフ→「便利ナイフ」とは、ナイフ以外に様々な工具がくっついたアイテムのこと。これひとつ持っていさえすれば、子供はきっと遊び場のヒーローになれるはず・・・・冗談はさておき、田村氏が先輩に言われたのは「意外とつかう場面が多い!」のひとことだったとか。日本のようになんでもかんでも安全が保証されている訳ではないからこそ、こういうサバイバルアイテムはひとつでも持っておいたほうが安心らしい。
・虫除けスプレー→アジアのひとつである日本はもちろんの事、言うまでもなく東南アジアはものすごく蚊が多い!快適な環境のホテルばかりではないので、真夜中に蒸し暑い宿の一室で蚊にかこまれたら心身共にたまったものではないとのこと・・・・。だから、虫除けスプレーは必須!外出時に身体にサッとかけられるタイプから、部屋に置いておくタイプまで、必要に応じて準備できるようにしておくと良い、と、田村氏は先輩から教わったとか。
・着替え→基本は「2日分のTシャツとパンツと替えの下着」で充分だそうだ。念のため着替えを多めに用意しておくのも良いが、そうするとバックパックの重量がどんどんかさばり、それで大変な思いをしているバックパッカーを何人も見た、と田村氏は先輩にいわれたそうだ。だから、その日着たものはその日のうちに洗濯し、数日間着回し、ボロボロになってきたら買い換える、というのが最も効率が良いらしい。
・雨具→着替えと同様意外とかさばるのが雨具で、「バックパッカーのなかでは”持ち歩きたくない荷物のひとつ”といわれている」と田村氏は先輩から聞いたそうだ。折りたたみ傘も便利だが、やはり荷物を四六時中背負っているバックパッカーにとって最もラクチンなのは合羽。合羽は近くのコンビニでも安く手に入るので、なるべく大きめの裾の長いタイプを用意しておくと良い。
・ポーチ→身体に密着させるタイプの、首にかけたり、腰に巻く小さなポーチがあるといざという時便利なのだそう。パスポートやお金など、貴重品を身体に密着した場所に置いておくと安全性も増します。セカンドバッグについては、旅行店や100円ショップ、ロフトにも専門コーナーがあるので、1度覗いてみると良いかも!
・財布→予備の財布をポーチにしまい、こっちの方には小銭だけ入れておいて使用すると防犯にもなり便利。カードやお札など大きいお金はもうひとつの財布に入れておけば、万が一小銭だけの財布が盗まれても意外と大丈夫。荷物量は少ないほうが良いが、用途によって入れ物を使い分けるのがコツ。「これ、けっこう難しいけれど、覚えると後々がラク」と田村氏。
・サンダル→たとえば直接足をつけたくないお風呂場の床やちょっとした水辺を歩く機会はとても多いので、「絶対に必要!」と、田村氏は先輩から言われたという。ただ、サンダルはどの国でも数百円で購入できるため、わざわざ日本から持っていくことはないそうだ。
服装→身軽。これが最も重要!!日本でいういわゆる「ラフなスタイル=ジーンズ+ポロシャツ」だと逆に目立つから、Tシャツに短パンくらいがちょうどいい。
・音楽プレイヤー→知らない土地で日本語の歌詞を耳にするといっきに落ち着くので、特に寝る際には必ず好きな音楽をかけていた、と田村氏は先輩から聞いたそうだ。CDやプレイヤーをいちいち持ち歩くわけにもいかないので、ポケットにiPodを入れておけばOK。後に「あの国に行った時にこの曲を聴いたなぁ」と思い出にひたることも出来るという。
・カメラ→必須アイテム!!旅の記録をきちんと撮っておけば、後々役立つことは絶対にあります。人によって持って行くカメラの種類が異なるところがあり、ちなみに先輩は一眼レフ派、田村氏はデジカメ派。一眼レフは重いが本格的な写真撮影ができ、デジカメは軽いため気軽にシャッターが押せる。一眼レフは古い型でも申し分ない写真が撮れるので、高価なデジカメを購入するよりも、中古の一眼レフの方が価格が抑えられるかもしれない。
・SDカード・USBメモリ→デジタルカメラの場合、無意識に撮っているうちに枚数がどんどん溜まってしまうので、できるだけこまめにUSBなどに保存するようにしましょう。海外でも安く購入することは可能ですが、画質が落ちてしまう恐れもあるので、あらかじめ日本で購入したものを持って行くことを田村氏は先輩からすすめられたそうです。
・日焼け止め→国によっては日中になると気温がグングン上昇し、日差しも日本と比べものにならないくらい強い場所もあるので、日焼け止めは必需品。海外の製品は質が曖昧なので、出発前に日本の空港で1本購入しておきましょう。たとえば、東南アジアの場合は比較的色黒の方が多いので、肌が白いと良い意味で目立つそうです!
・圧縮袋→田村文洋の先輩の話しだと、はじめてのバックパックに圧縮袋を持って行ったそうだが、出発前に洋服を入れすぎて破裂してしまったとか。それ以外はかさばる洋服を整理するのに圧縮袋はとても便利だったらしいが、コツはとにもかくにも「入れ過ぎない」こと!特に100円ショップのものは、↑に書いたように油断すると破裂してしまうので、1袋あたりTシャツ2~3枚までにすると丁度いい。

''<バックパックを仕事にするには?>''
海外のリゾート地に遊びに行くのも良いが、低予算で様々な国を訪問できる「バックパック」という手段を選ぶ若者が増えつつある昨今、自身の旅好きな趣味をしっかりと仕事に結びつけて資金を得る方法が存在する。
・コンテンツ制作
旅先で撮った写真や動画をホームページ上で販売したり、最近では個人に旅行記録を有料で依頼する企業も増えつつあるようなので、どんどん活用してみると、あなた自身の視野も広がるかもしれません!

・とにかくできることからチャレンジ!
日本では肩身が狭くてやりにくいことも、海外なら思い切ってチャレンジしてみると、意外な出会いにつながるかも。

''<バックパッカーをする人たちの種類とは?>''
「バックパッカー」とひとことで言ったとしても、そこには様々な背景を持った人たちが存在するので、以下でまとめてみました。
・脱サラ後バックパッカーに
サラリーマン生活に見切りをつけてバックパッカーとしての人生を選んだ人々。年代は20~50以上と幅広い。
・学生が長期の休暇を利用してバックパック
大学生が休みにバックパックを背負いながら旅行をする様子は頻繁に見られるが、上記した元社会人とは異なり、彼らには帰る家も将来への展望もまだまだふんだんに秘められているため、色んな意味で「怖いもの知らず」なキラキラした瞳をしていることが多いらしい。
・学生が長期の休暇を利用してバックパック
大学生が休みにバックパックを背負いながら旅行をする様子は頻繁に見られるが、上記した元社会人とは異なり、彼らには帰る家も将来への展望もまだまだふんだんに秘められているため、色んな意味で「怖いもの知らず」なキラキラした瞳をしていることが多いらしい。
・ご夫婦でバックパック
これは田村文洋氏が先輩から聞いて1番驚いたことだそうだが、旅先には友人と連れ立って、という方々だけではなく、ご夫婦で協力しあいながら旅をたのしむカップルも数組いたそうだ。ちなみに先輩は東南アジアのバックパック中によく出会ったという。なかには移動中に喧嘩をするご夫婦もいたとか(笑)
・長期休暇中のバックパック
日本での仕事を年に1~2ヶ月程度休み、その間海外でバックパックをする人たちのこと。そのかわり、日本での仕事はほぼ休みなく毎日イッパイイッパイの状態でこなさなければ休みは確保できないのだとか(;_;)
バックパック中は、田舎にホームステイをして農業を手伝ったり、宿で住み込みで働いたりと、腰を据えて長期間じっくりできることに取り組む方が多いらしい。
・ブログ等旅行記録をつけながらのバックパック
バックパックをしながら現地で経験した物事をいくつかの方法でメディアに紹介することで収入を得ている人たちのこと。収入額は人によって様々なので、なかには学生がバイト感覚でブロブ更新しながらバックパックしていたり、普段は社会人をしながらバックパックで得た情報をブログにアップして収入を得ているなど、人によって異なるそうです。

''<バックパックに適した服装とは?~女性編~>''
以下では、田村文洋的オススメバックパッカーファッションをご紹介。興味のある女性はぜひともご覧くださいませ!
☆旅先があたたかい国の場合
・1枚で完結するワンピースorチュニックにレギンスでコーディネート完成。レギンスはピタッとしたスパッツ型よりもウェストゴムのパンツに見えるものがオススメ!
・短期の旅はTシャツを数枚、長期の場合は色や柄物で遊んでみるなど、ちょっとした工夫をすると気分もより盛り上がるかもしれません。
・ホテルの冷房が効きすぎている時用対策に、カーディガンやストールなどの羽織ものや、重ね履き靴下を数枚常備しておきましょう。
☆旅先がさむい国の場合
・ヒートテックのインナーや腹巻きで身体を直に温めるのがベスト。
・使い捨てカイロ、マフラー、レッグウォーマー、手袋など、小物を持ち歩いておけば、地域の温度差によって使い分けることができます。カイロは具合が悪くなった場合身体を暖めるのに良いかもしれません。このあたりは面倒臭がらずにきちんと所持しておくと後々後悔しません!
・羽織モノも重要。フリースやジャンパーなど軽くて持ち運びやすいものを選んでおきましょう。軽めのベストがオススメ。
☆そのほか、あると便利なアイテム
・まわる国の季節関係なく水着は持っておいたほうが良い。いざという時役に立つらしい。
・気候によって靴を使い分けるようにしておくと便利。たとえば、暑いならサンダル、寒いならムートンブーツ、どちらでもないならスニーカー、舗装されていない山道なら底が頑丈なもの、などなど。
・メイクはしないよりもした方が良いそうです。しかし、日焼け止め、パウダーや眉毛を整えたりと、あくまでも「ベースメイク」に留めておくこと。バッチリアイラインやマスカラを濃くつけていくと、場所によっては「騙されやすい女性」であると認識されてしまうため、ほどほどに。

''<バックパックに適した服装とは?~男性編~>''
☆基本的にこれを持っていけばOK!
・柄物Tをそろえていくのも良いですが、ここはあえて白Tにするとオシャレ!厚手で通気性も優れておりジャブジャブ洗っても長持ちする丈夫なものがベスト。シンプルだからこそ、品質にはこだわりたいですね。
・ウエストがゴムでしかも動きやすいうえ持ち運びにも便利なレギンスパンツはバックパッカーの必需品。機能性重視のパンツは見た目がオシャレではない場合があるので、自分のスタイルにあった安価な商品を探すのがオススメ。
・洗濯が2~3日できない暑い国に行く場合は、綿素材は避け、メッシュ素材のTシャツを持っていくのがベスト。綿だと汚れや汗を吸収しやすく目立ってしまうため段々と清潔感がなくなってしまいますが、メッシュなら汗をかいて汚れても目立たず通気性も優れているため快適に過ごせます!もし気候がバラバラの国を移動するなら、様々な素材のTシャツをそろえておくのがオススメ。
・男性の場合、洋服は数日洗濯をしなくても平気だけれど、やはりどうしても耐えられないのは下着。暑い国から寒い国への移動のあいだの急激な体温変化や、天候の悪化、また体調不良など、様々な場面が想定できるからこそ、下着の替えは重要!特に、靴下は何枚かバックパックに入れておくといざという時とても便利。
☆ポイント
・着替えは基本的に3日分用意しておくとちょうど良いらしい。
理由は、2日だとこまめな洗濯が必要となり、また、4日だとバックパックの中身がかさばるから。しかし上記したように靴下等下着類は多めにそろえておくなど、ものによっては臨機応変に対応しておくのがベスト!バックパックがパンパンにならないよう、圧縮袋を上手く活用しましょう。

''<バックパッカーとは>''
バックパッカーとは、低予算で国外を個人旅行する旅行者のこと。バックパック(リュックサック)を背負って移動する者が多いことからこの名がついた。こうした旅行はまた、自由旅行や低予算旅行とも呼ばれる。従来の旅行者との違いとして、移動に公共交通機関を使うこと、ユースホステルや安宿を伝統的なホテルよりも好むこと、世間的な休暇よりも長い期間に亘ること、地元の住人と出会うことにも興味があることなどが挙げられる。
様々な文化や地域からの旅行者が加わり、これからも加わり続けるであろうため、バックパッカーの定義を厳密に定めるのは難しい。最近の調査によると、「バックパッカーたちは自身の旅行経験に結び付いた行動原理や意義の多様性を反映して不均質なグループを形成した。バックパッカーたちは、制度化されていない旅行の形式への共通の傾倒を見せ、それがバックパッカーとしての中心的な自己定義となっている」。
1960年代から欧米で流行しはじめ、航空券の低価格化と共に世界の若者の旅装の代表となった。2000年代にはライフスタイルとしての、またビジネスとしてのバックパッキングが大きな成長を見せた。格安航空会社はもとより、世界の各所にあるユースホステル・ゲストハウス・ドミトリーなどの安宿、インターネット上のブログ・電子掲示板・SNSなど、デジタルなコミュニケーション手段や情報資源により、バックパッカーが長期の旅行を計画し、実行し、継続することは以前よりも容易になっている。ただ節約するのではなく、ホテル泊まりで賓客として扱われるパックツアーでは、見えない人々の生の暮らしに触れるのも、また大きな目的である。

''<バックパッキングの種類>''
フラッシュパッキング(flashpacking)、フラッシュパッカー(flashpacker)は裕福なバックパッカーを指す新語である。伝統的にバックパッキングが低予算の旅行と物価の比較的安い目的地に結び付けられてきたのと対照的に、フラッシュパッキングは単純には旅行中により多くの予算を使えるものとして定義される。
フラッシュパッカーのflashは「光るもの」「見せびらかし」などの意味があるが、この語の起源自体が不明瞭で、定義もまちまちである。近年急速に増加した、宿泊や食事にはそれほどお金はかけないが、選んだ旅先での活動にはふんだんに(時として過剰に)お金を使う旅行者たちを指すと考える人々もいる。昼は低予算の旅行者たちと共に冒険的な旅を行い、夜は落ち着いた食事と快適な宿泊を楽しむような、「スラムを覗く」ことと贅沢との不調和な混淆と考える人々もいる。さらに、携帯電話、デジタルカメラ、iPod、ノートパソコン、タブレット端末などを持って旅することを好むテクノロジーに通じた冒険者としても定義される。しかしどれも必要条件というわけではない。他の旅行スタイルと同様に、フラッシュパッカーの語は主に自己定義として用いられている。
この語はまた、従来の組織的な旅行を見放して、かつてはより冒険的なバックパッカーだけのものであった目的地へ進出する旅行者や、高収入な仕事から離職したりキャリア上の休暇を取ったりして自力での旅行に時間を費すのだが、より快適に、自宅で慣れ親しんだ多くの装置と共に旅するような旅行者の増加も反映している。結果として宿泊施設も変化し、仕事を確保するために、依然として低予算な旅をしている旅行者にもより高級な設備を提供しようとするようになった。旅行者の需要の変化に応じて宿泊施設の側も変化する必要があると認識したのである。

''<低予算バックパッキング>''
フラッシュパッキングとは対照的に、相部屋や寝袋や長期滞在の場合はアパートの利用などで宿泊費を、屋台や自炊などで食費を、公共交通機関の利用やヒッチハイクや格安航空券の現地調達や陸路の多用で移動費などを限られた予算で遠く・長く旅するために大なり小なり節約しながら旅するのが、伝統的な低予算のバックパッキング(budget travel, budget backpacking)である。極端なフラッシュパッキングでなければバックパッカーには何らかの形で節約は付き物だが、中には安く上げること自体を楽しみとする者もある。

''<ギャップ・パッキング>''
ギャップ・パッキング(gap-packing)は高校卒業から大学入学、もしくは大学卒業から就職のギャップ・イヤーの間に多くの国々を短期間に巡る、主に欧米人の若いバックパッカーの旅を指す。この制度や社会慣習がない日本の学生は逆に履歴書に空白(ギャップ)を作らぬよう休学制度を利用する場合がある。
バックパックを背負い自転車でユタ州を旅する南アフリカ人旅行者

''<移動手段で見たバックパッキング>''
メガローピング(en:megaloping)は鉄道、バス、地下鉄などの公共交通機関のみを利用するバックパッキングを指す。
逆に、交通機関の利用を最小限に抑え自転車を主な移動手段として移動する者もいる。自動車などを運転して旅行する者は「オーバーランダー」(オーバーランディング、en:overlanding)と呼ぶ。他にヒッチハイクや徒歩も有力な移動手段である。

''<沈没、外こもり>''
物価が安く、社会的なストレスもない旅先の環境に慣れ切ってしまい、移動や観光もほとんど行わず1つの街や宿に長期滞在するバックパッカーの状態を日本語で「沈没」と呼ぶ [。資金が尽きるまで、更にはインターネットを通じて利殖・金策してまで長期逗留する場合もある。最初から沈没を目的に国外へ行くことは「外こもり」とも呼ばれる。

''<文化>''
バックパッキングで重視されるのは「本物」の感覚である。バックパッキングは休暇であるというだけでなく、自己教育の手段でもあると受け取られている。バックパッカーはツアー旅行がそうであると見做されるような「パッケージ化された」ものではなく「リアルな」現地を体験したいと望み、これがバックパッカーが反・観光客であると考えられる原因となっている。そして。「舞台裏を密かに歩く」感覚や、現地の人々とより深い関係を持って実際の生活を見ることの感覚もある。

批判
バックパッカーは、他の旅行形態と同様に、論争の的であり続けている。こうした批判の一部はヒッピー・トレイルの頃の旅行者の行動に遡る。批判はバックパッカーを受け入れる国々やバックパッカーの行動に同意できない他の旅行者たちを含むさまざまな方面からなされてきたが、バックパッキングが旅の主流により近づくにつれバックパッカー観も改善してきている。
エリック・コーエンは、バックパッカーの主目的の1つが「本物」を探求することであるにもかかわらず、バックパッカーの大部分はその時間の多くを他のバックパッカーとの交流に費し現地の人々との交流は「二の次」になっていると批判している。バックパッカーが多く訪れるバナナ・パンケーキ・トレイルではバックパッカーの存在が現地のあり方そのものを変えてしまうという指摘もある。

''バックパッカーの実際''
・情報収集

長期間の旅では全てのビザを事前に取得することは難しく、また現地でしか取得できない場合や国境自体が閉鎖される場合などもあるため、国境情勢はバックパッカーのルート自体に影響を与える(かつてのシルクロードの陸路の旅は、今日では難しい)。旅行中はこうした治安、国境情勢、物価、イベント、店の評判など様々な情報を語学力も活かし現地で収集する必要がある。バックパッカーの集まる宿などでは旅行者同士の情報交換が行われ、そのための「情報ノート」や伝言板などが設置されていることもある。また今日では、各国の政府観光局や外務省の危険情報、旅行業者や旅行者自身のウェブサイトやブログなど、ある程度の情報は携帯情報機器やインターネットカフェなどを利用してネットでも収集できる。

・食事と宿

移動先では常にまず一夜の宿を確保する必要があり、バックパッキングは移動と宿探しの繰り返しでもある。食事は外食や買い食いが多くなるが、食費を安く浮かすため自炊することもあり、さらに宿の滞在者同士でお金を出し合い共同で料理することもある(日本語では「シェア飯」と称する)。一度宿に落ち着いてしまえば基本的にすることがないので、長く滞在している者は宿や飲食店などで他の旅行者の置いていった本を読んだり、他の宿泊者と話やゲームをしたりして過ごしている。何のストレスもなく無為に過ごせることから「沈没」してしまう者もある。否定的側面もあり、現地の人々と触れるには他の行動や語学力も必要だが、共同生活により旅の仲間や時には恋愛関係が生まれる側面もある。

・バックパックの中身

バックパッカーの荷物には、通常の着替えや洗面道具などの他、現地情勢に合わせた薬や盗難防止の鍵[注 1]や電圧変換器[注 2]、現地では手に入りにくい可能性のあるトイレットペーパー・洗濯挟み・箸のような日用品、情報源となる旅行ガイドブック・地図・情報機器、意思疎通のための辞書類や筆談用の文房具、安全性に配慮したトラベラーズチェックや流通性に優れた通貨の現金などの金銭、ビザ取得や万一のトラブルなどに備えた各種証明書や証明写真、無聊を慰める玩具・楽器・文庫本など、バックパック1つで最低限かつ旅先の必要全てを満たすべく、旅行者各自の経験やスタイルや旅程や体力に応じて様々な物品が詰め込まれている。バックパックに何をどう詰めて持って行くか行かないかの技術や取捨選択は、「バックパッキング」の原点とも言える。

・各国の安宿街

旅行者が多く集まる街にはゲストハウス、インターネットカフェ、レストラン、旅行用品店、旅行代理店など旅行者向けの施設が集まる安宿街がしばしば形成され、バックパッカーの拠点となっている[27]。旅行者側の個別の言語や出身地に対応・特化した宿、現地ガイド、料理店などの各種サービスが提供されていることもある。以下は各国の安宿街の簡潔なリストである。
タイ・バンコクのカオサン通り

    パハールガンジ(インド デリー)
    サダルストリート(インド カルカッタ)
    タメル地区(ネパール カトマンズ)
    スルタンアフメット(トルコ イスタンブール)
    カオサン通り(タイ バンコク)
        バンコクには古くから有名な中華街周辺や国立競技場周辺など数多くの安宿街がある。
    チュリアストリート(マレーシア ペナン島)
    プタリン通り(マレーシア クアラルンプール)
        ブキッ・ビンタン周辺やマレー人街のチョウキット地区にも世界からバックパッカーが集まる安宿街がある。
    ゲイラン地区(シンガポール)
    ファングーラオ通り・ブイビエン通り・デタム通り(ベトナム ホーチミン)
        ホーチミン市の中心南西部にある地区は、この3本の通りを中心にハノイの旧市街と並ぶベトナム最大級の安宿街を形成している。

トレッキング

トレッキング(英語:trekking)は、山歩きのこと。登頂を目指すことを主な目的としている登山に対し、トレッキングは特に山頂にはこだわらず、山の中を歩くことを目的としている言葉。ただし、結果的に行動の過程で、山頂を通過することもある。ニュージーランドでは、トランピング(tramping)と呼ばれている。

ヨーロッパでは、アルプスの山々に登るには、途中に岩場や氷河などがあり、ザイル、アイゼンなどの特殊な装備を必要とするため、それらを使用するものを登山と呼んでいるが、日本の夏山ではそのような装備がなくとも高山に登ることができるため、トレッキングと登山の境は明確ではない。そのため、日本では軽登山をさす場合にも常用される。

川に沿って歩くリバートレッキングや、雪原を歩くスノートレッキングなど、歩く場所によってさらに分類される。さらに、鉄道の廃線になったところを歩くといった廃線トレッキングなど、さまざまな目的のトレッキングも楽しまれている。そのほかにも、マウンテンバイクや、オフロードバイクで山を走る行為もトレッキングと呼ばれている。

主なトレッキングコース
アジア

    ヒマラヤの山麓

日本

    礼文島・八幡平・尾瀬沼・戦場ヶ原・美ヶ原・霧ヶ峰・志賀高原・斑尾高原・上高地・室堂・砥峰高原・熊野古道中辺路・大山・蒜山高原・剣山・九重連山など。
    日本百名山、新日本百名山、日本二百名山、日本三百名山などに選定された山々などにもトレッキングに適したコースがある。

ヨーロッパ

    アルプスの山麓

北アメリカ

    カナディアンロッキー

オセアニア

    ミルフォードトラック

''トレッキングに揃えたいもの''
日帰りの場合

    トレッキングシューズ - しっかりと足首が固定でき、小石の入りにくいハイカットが適する。
    ザック - 20リットル程度のデイパックが使いやすい。
    服装 - 雨に濡れても乾きやすいもの。下着は特に乾き易い素材のものがよい。暖かい時期であっても、薄手のセーターや風を通さない上着を携行するとより安心できる。林の中や藪を通過するルートでは長袖のシャツを着ると肌を痛めずに済む。黒色は蜂に襲われやすい色なので避けたほうが無難とされる。
    替えの下着 - 汗を大量にかいた際に有効。
    地図とコンパス - 平易な道でも迷うことがある。リーダー以外も携帯するのが望ましい。
    雨具 - 山間部ではセパレートタイプのレインウェア、街中や平地では折りたたみ傘が有効。
    懐中電灯 - 両手が使えるためヘッドランプタイプの軽量なものが適する。夜間の行動は避けたいが万一に備えたい。
    水筒 - 水や茶以外にも、イオン系スポーツドリンクも適する。
    タオル - 汗を拭いたり、防寒にも使えるなど何かと重宝する。
    エイドキット - 絆創膏・傷薬・消毒薬・虫刺されの塗り薬などがあると安心。団体の場合はテーピングまたは包帯、ガーゼなども持った者がいるとよい。また、持病がある者はその薬も携行する。
    カメラ - 記録用。
    携帯電話 - 緊急時に役立つ可能性がある。
    発煙筒 - 遭難時にヘリコプターから発見されやすくなる。花火の煙玉でもよい。
    クマ除け - ホイッスル、鈴・カウベル、ラジオなど。
    昼食 - 高カロリーなものが適する。食事後にゴミが少なくなることも考慮される。
    非常食 - 軽く高カロリーなチョコレートや飴、カロリーメイトなどが適する。なお、ノンカロリー食品は体力の回復には向かない。
    ストック - 歩行時のバランス補助、登り降りの支えとして使用。荷重・衝撃を分散させるため足腰の負担を和らげるだけでなく、転倒を防止できる。
    その他 - ビニール袋・トイレットペーパー(芯を抜くとかさばらない)・時計・レジャーシートなど。
野営する場合

上記に加えて揃えたいもの
テント - 使用人数に合ったものを選ぶ。
寝袋 - 季節に合った保温力のものが良い。
食器 - 軽い調理を必要とする際に必要。紙皿なども使われる。
ポータブルストーブ - 温かい食事を求める者は小型の鍋と共に必要になる。

''ハイキング''

ハイキングは健康のため、あるいは知らない土地を見聞したり、自然の風景や歴史的な景観を楽しむために軽装で、一定のコースや距離を歩くことをいう。ウォーキングともいい、近年は高齢者の健康維持(health promotion)のために推奨されている。小高い丘や山を越えたり、その中腹を横切るといったコースもあり、山歩きと一部その活動は重なる部分もある。なお、ハイキングをする人をハイカーという。

なお、食事が主な目的となる場合は、ハイキングではなくピクニックとなる。

・起源・現状
こうした活動は、19世紀の末から20世紀の初頭にかけて、工業文明が急速な発展を遂げ、その工業生産や技術のデモンストレーションの場として、万国博覧会が始まった時代に、それへの警鐘として、健康維持のためのさまざまな活動、禁酒、禁煙運動、日光浴、海水浴、体操、自然食、ワンダーフォーゲル運動などのブームが始まった頃に共に始まったと思われる。
ウォーキング大会と銘打って、鉄道会社などが利用客を増やすために催すものもあるし、1人で背中にリュックを背負って、海外や山岳地を歩くバックパッキングというスタイルもある。呼び名は、各国の文化を背景にして異なり、ドイツではWandern(ワンデルン、ワーダーフォーゲルの語源)、オーストラリアではbushwalking(ブッシュウォーキング)、ニュージーランドではtramping(トランピング)という呼び名が、好んで用いられている。

''アウトドアとは''
アウトドア・アクティビティとは、屋外で行う活動の総称である。日本語では略してアウトドアと言うことのほうが多い。「野外活動」や「アウトドア活動」とも。

概説

アウトドア・アクティビティとは、屋外での活動を指す総称である。

「アウトドア・アクティビティ」では日本人の語感では長すぎるので、一般に後ろの「アクティビティ」が省略されて「アウトドア」と一語で使用されることが多い。

outdoor「屋外」とは、基本的には、部屋の閉ざされた空間の外、という意味である。とは言え、単なる屋外のことを指しているのではなく、特に市街地も離れた場所、自然の空間を指していることが一般的である。

現代人の多くは、都市の人工的な空間での生活を余儀なくされているが、そうした人工的な空間から離れた場所、自然の中で行う活動を指して「アウトドア・アクティビティ」と呼んでいるのである。

特にスポーツに分類される活動を行う場合は「アウトドア・スポーツ」とも呼ばれる。特に生活の活動(炊事・食事、睡眠等)を行う場合や、アウトドアで生きること、という意味を込めて「アウトドア・ライフ」などと呼ばれることもある。

より具体的に言うと、次のようなものになる。いろいろな分類のしかたがあるが次のように列挙することも可能であろう。

''ボーイスカウト''
ボーイスカウトは世界規模の青少年団体の名称である。20世紀初頭、イギリスの退役軍人のロバート・ベーデン=パウエル卿(以下 B-Pと表記)がイギリスの行く末を懸念し、将来を託すことの出来る青少年の健全育成を目指して創設したことにはじまる。

実社会で先駆的な立場に立てるように、身体を実際に動かし、形に囚われない戸外活動を通じて心身ともに健全な青少年の育成と教育を目的とする。なお「スカウト」は「偵察」「斥候」の意。ボーイスカウトやガールスカウトで活動すること、またその活動と理念をスカウト運動(Scouting、スカウティング)と呼ぶ。

日本では年齢別にビーバースカウト、カブスカウト、ボーイスカウト、ベンチャースカウト、ローバースカウトがある。

''発祥''
1903年、陸軍中将B-Pが赴任先のアフリカからイギリスに凱旋帰国したとき、彼が陸軍大佐だった1899年に書いた『Aids to Scouting for N.-C.Os and Men』という下士官・兵向けの斥候の手引き書が多くの学校で教育教材として使用され、少年たちにも評判が良いことを知った。しかしその本は元々軍人に向けて書いたものなので、少年を対象読者とする本ならば、さらに大きな効果を上げられると思い、青少年教育に関する研究を始めた。1906年には、彼の考えをまとめた草案を、陸軍、海軍、教会、少年団 (Boys' Brigade (BB)) などに送り意見を求めたり、「シートン動物記」の著者であり、少年団ウッドクラフト・インディアンズ (Woodcraft Indians) の創始者であるアーネスト・トンプソン・シートンとも積極的に意見交換している。

1907年、それまでの研究を実証するために、B-Pは8月1日から8日の日程で、イギリスのブラウンシー島に20名の少年たちを集めて実験キャンプを行った。このキャンプには21名の少年が参加するはずだったが、一人の少年が体調を崩したため20名で行われた。これを基に、1908年に『スカウティング・フォア・ボーイズ』(原題:Scouting for Boys、「少年のための斥候術」といった意味)という本を刊行した。当初は六分冊として発行され、後に一冊にまとめられた。この本が大きな反響を呼び、本を読んだ少年たちは自発的に組織(パトロール/班)を形成して善行を始めた。これがボーイスカウト運動の原点・発祥とされている。このように、スカウト運動は少年たちの自発活動によって始まったが、世界スカウト機構 (WOSM) では、便宜上、1907年8月1日をスカウト運動発祥の日と定めている。

この「スカウティング・フォア・ボーイズ」は、元々ボーイ隊年齢相当の少年を対象読者として書かれたものであったが、現在では「指導者や保護者が現代のスカウト達にスカウティングを如何に伝えていくか」について説いた、指導者や保護者にとってのバイブル的な書としても扱われている。

B-Pがボーイスカウトのシステムを考案するにあたっては様々な要素が取り入れられている。最も基礎となっているものは、彼が軍隊時代に身に付けた、それまでの硬直した教育システムから逸脱した創意工夫と自由の精神であるが、「スカウティング・フォア・ボーイズ」や「ローバーリング・ツー・サクセス」からも読み取れるように、ズールー人の狩猟方法や歌、アフリカの諸部族で少年を訓練する方法、自身が構築した南アフリカ警察隊の訓練法、シートンが始めた青少年活動・ウッドクラフト(森林生活法)、中世ヨーロッパの騎士道といったさまざまな要素が取り込まれている。

その代表的な物のひとつが、ウッドバッジ実修所(隊指導者の上級研修)修了者に付与される修了記章「ウッドバッジ」である。B-Pがアフリカで軍務についていた頃にズールー族の族長から戦利品として手に入れたアクセサリー(木製のビーズを紐でつなげた長い首飾り)をばらして、研修修了の記念として一粒ずつ修了者にわたしたものである。

日本においては、第二次世界大戦以前から活動が開始されていた(後述)が、敗戦後の占領政策により活動禁止処分を受けた。しかし、日銀総裁・三島弥太郎の長男で旧伯爵であった三島通陽および、元朝日新聞記者の村山有が中心となっておこなわれたダグラス・マッカーサー元帥あての請願によって活動の再開が許可され、一般への普及が図られた。

年表
1899年 当時、陸軍大佐だったB-Pは、『Aids to Scouting for N.-C.Os and Men』という下士官・兵向けの斥候の手引き書を執筆。
1906年 B-Pは青少年教育に関する彼の考えをまとめた草案を、陸軍、海軍、教会、少年団ボーイズ・ブリゲード (Boys' Brigade (BB)) などに送り意見を求めた。その内の1通がBBの教育方針に従って編集者が大幅にカットしたダイジェスト版として、機関紙『ボーイズ・ブリゲード・ガゼット』 (Boys' Brigade Gazette) に紹介された。(その中で初めて「スカウティング・フォア・ボーイズ」 (Scouting for Boys) という言葉が使われた)
1907年8月1日 B-Pによるブラウンシー島での実験キャンプ(スカウトの最初のキャンプ)。
1908年 1月から隔週で『スカウティング・フォア・ボーイズ』を各70ページ程度の6分冊として刊行。5月に1冊にまとめられたハードカバー版が出版された。ボーイスカウト英国本部設立。機関紙「ザ・スカウト」の創刊。
1909年 スカウト運動がアメリカへ伝わる(「無名スカウトの善行」)。
1910年 ウィリアム・ディクソン・ボイスが米国ボーイスカウト連盟を設立。B-Pの妹であるアグネス・ベーデン=パウエルが、ガールガイド(ガールスカウト)を発足。
1913年 ボーイスカウト連盟の初代総長にコンノート公が就任。フランスにボーイスカウト誕生。
1916年 「The Wolf Cub’s Handbook」出版。ウルフカブ(カブスカウト)はじまる。
1917年 シニアスカウト部門を設置。
1918年 ローバースカウトはじまる。
1919年 ギルウェル指導者実修所(ギルウェル・パーク)開設。
1920年 ロンドンで第1回世界ジャンボリー開催。そこでB-Pが「世界の総長」に選出される。
1922年 「Rovering to Success」出版。
1924年 国際スカウト会議(コペンハーゲン)で「スカウト教育はいかなる宗教の上にも成り立つ」という宗教的普遍性が宣言される(コペンハーゲン宣言)。
1941年 B-P死去。
1957年 B-P生誕100年・スカウティング50周年にあたり、この年の世界ジャンボリーは「ゴールデン・ジュビリー」と呼ばれた。
1958年 第1回ジャンボリー・オン・ジ・エア(アマチュア無線を使用した世界ジャンボリー もちろん資格者が無線機を扱う)開催。
1990年 第32回世界スカウト会議(パリ)において、「スカウティングにおける成人」 (Adults in Scouting) の原理が文章化され、「世界成人資源方針」(アダルトリソーシズ方針、World Adult Resources Policy)が制定された。
1999年 第35回世界スカウト会議(南アフリカ・ダーバン)において「スカウト運動における少年少女と男女に関する方針」 (Policy on Girls and Boys,Women and Men within The Scout Movement) が発表され、『スカウト運動は(ジェンダーにかかわりなく)すべての若者に開かれたものである』旨が追認された。
2007年 スカウト運動100周年。第21回世界スカウトジャンボリー(7月27日から8月8日まで)がイギリスで開催された。また、ジャンボリー期間中の8月1日午前8時(西ヨーロッパ夏時間 UTC+1)には、ブラウンシー島で100周年記念式典「サンライズ・セレモニー」が行われ、BBCやインターネットを通じて世界中に放送された。
2015年 第23回世界スカウトジャンボリーが日本の山口県で開催。

''スカウト運動''
「スカウト運動」のバイブルとされるB-Pの著書『スカウティング・フォア・ボーイズ』によれば、スカウト運動の基本は、人格 (Character)、健康 (Health)、技能 (Handicraft)、奉仕 (Service) の四つである。

世界的組織である「世界スカウト機構」 (WOSM, World Organization of the Scout Movement) には、155カ国と26地域のスカウト組織が加盟しており、事務局はスイス連邦のジュネーヴにある。

2010年現在、世界スカウト機構 (WOSM) に加盟している160の国と26地域の他、加盟していない29カ国を合わせ、215の国と地域で活動が行われており、参加総人口は2,800万人にのぼる。ボーイスカウト運動がこれほどにまで広がった背景には、ボーイスカウト運動が宗教の多様性、さらには各々の宗教の尊厳を認めていることがあげられる。これにより、イギリス発祥のボーイスカウト運動がアジア、アフリカ、イスラム圏など、世界中に広まっていったと言える。

ボーイスカウト運動の本家ともいえるイギリスでは、4Hクラブ、アウトワード・バウンドと並んで青少年の社会教育活動の3本柱のひとつとされている。

日本では、海洋少年団(主たる活動の場を海上としている)とともに、代表的な青少年の社会教育活動のひとつとして位置付けられている。

ソ連下では活動が禁止されていた。代わりにピオネールがあった。現在のロシアでは活動が広く認められている。なお、ユーラシア地域は旧ソ連諸国のために冷戦崩壊後に設立された。

現在もなお法的に活動を禁止されている国は以下の5カ国。

北朝鮮
キューバ
中国本土(香港、マカオなどを除く)
ミャンマー
ラオス

この5カ国にアンドラ公国を加えた6カ国以外では、全ての地域においてスカウト活動が展開されている。

スカウト運動経験者の著名人
NASAの宇宙飛行士の約3分の2や、月面を歩いた12人の宇宙飛行士のうち、11人がボーイスカウト出身である。他にもビル・ゲイツやマイケル・ジョーダン、スティーヴン・スピルバーグ、ジョン・F・ケネディなどもボーイスカウト出身だったとされている。

''スカウト運動''

スカウト運動(Scout Movement)、スカウティング(Scouting)とは、若者の社会で有用とされ得る肉体的・精神的スキル向上の手助けを目的とする教育運動。その教育はアウトドアとサバイバル技能に重きを置く。この運動は20世紀の前半期にカブスカウト・ボーイスカウト・ローバースカウトの三つの部門をもつまでに成長し、また1910年には新たに女子教育のためにガールガイド(ブラウニー・ガイド・レンジャーの部門を持つ)が設立された。今日では世界的な青少年組織の一つとなっている。イギリス陸軍中将であったロバート・ベーデン=パウエルは1906年と1907年に少年向けの偵察・斥候術の本を著した。1908年に、ベーデン=パウエルは先に出版した自らの軍事関係の著書を基に、フレデリック・ラッセル・バーナム、アーネスト・トンプソン・シートン(ウッドクラフト・インディアンズの指導者)、ウィリアム・アレクサンダー・スミス(ボーイズブリゲードの指導者)の助言と援助を得てピアソンからスカウティング・フォア・ボーイズを出版する。この本ために、ベーデン=パウエルは1907年の夏にブラウンシー島で実験キャンプを行っている。一般的にはこの実験キャンプとスカウティング・フォア・ボーイズの出版を以て、スカウト運動が始まったとみなされている。

スカウト運動はスカウト教育法と呼ばれる、キャンプ、工作、ウォータースポーツ、ハイキング、トレッキング、スポーツなどを含む実践的アウトドア活動に重きを置くインフォーマル教育プログラムを採用している。他にスカウト運動の特徴としては制服の存在が広く知られている。ネッカチーフとハットなどからなる制服は、加盟員の社会経済的背景や人種といったものを隠す役割を持っている。フルール・ド・リスないし矢じりをかたどった制服に用いられる独特の記章が用いられる。

スカウト運動には二つの世界的な包括的団体が存在する。世界スカウト機構(world Organization of the Scout Movement:WOSM)は男性のみないしコエデュケーションの団体で、ガールガイド・ガールスカウト世界連盟(World Association of Girl Guides and Girl Scouts:WAGGGS)は基本的に女性のみの団体で構成される。2007年はスカウト運動100周年(en:centenary of Scouting)の年であり、世界的な規模で祝賀行事が執り行われた。

日本においては、第二次世界大戦以前から活動が開始されていたが、敗戦後の占領政策により活動禁止処分を受けた。しかし、日銀総裁・三島弥太郎の長男で旧伯爵であった三島通陽および、元朝日新聞記者の村山有が中心となっておこなわれたダグラス・マッカーサー元帥あての請願によって活動の再開が許可され、一般への普及が図られた。

''ボーイスカウト日本連盟''
公益財団法人ボーイスカウト日本連盟(ボーイスカウトにほんれんめい、英語: Scout Association of Japan)は、「世界スカウト機構憲章に基づき、日本におけるボーイスカウト運動を普及し、その運動を通じて青少年の優れた人格を形成し、かつ国際友愛精神の増進を図り、青少年の健全育成に寄与することを目的とする」文部科学省所管の公益法人(財団法人)である。

沿革
1908年 日本にボーイスカウト運動が伝わる。

駐ベルギー日本大使だった秋月左都夫が、英国ボーイスカウトについての情報を日本に報告。
広島高等師範学校の校長だった北条時敬が、万国道徳会議出席のためイギリス訪問の際にスカウト運動についての調査を行い、帰国後、広島などでスカウト運動に関する講演などを行う。

1910年 文部省督学官として英国留学から帰国した蒲生保郷が、英国ボーイスカウトに関する書籍を桂太郎首相と小松原英太郎文部大臣に贈呈し、政府に「日本でも少年団活動を検討すべし」との建白書を提出する。

1911年

ロバート・ベーデン=パウエル卿(以下 B-Pと表記することあり)が訪英中の乃木希典大将と会見。乃木は帰国後に片瀬海岸(神奈川県藤沢市)でボーイスカウト式キャンプを実施。
横浜在住の実業家であり、日曜学校の教師でもあった英国人クレアランス・グリフィン (Clarence Griffin) が横浜第一隊(英国人12名、米国人3名、デンマーク人2名、ノルウェー人1名。グリフィン隊とも呼ばれた)を結成。
神戸在住のイギリス人牧師フレデリック・ウォーカーがウォーカー隊(米国人を主とした27名)を結成。

1912年4月 世界一周旅行中のB-Pが日本を訪問。横浜第一隊 (グリフィン隊)を視察。
1913年 東京で小柴博らによって「少年軍」が設立(この“軍”は、いわゆる軍隊ではなく、救世軍を意図したもの)。大阪基督教青年会(YMCA)内でジョージ・グリーソン (George Gleason) によりスカウト活動を展開(「大阪少年義勇団」の母体)。

1914年

8月 深尾韶が静岡で「静岡少年団」を創設。
9月5日 「大阪少年義勇団」が正式に発会。
12月 東京の「少年軍」が「東京少年団」に改称。

1915年11月1日 大正天皇即位大礼の記念事業として、少年に対する社会教育事業の創設の議が有志者の間に起こり、その一環として「京都少年義勇軍」の結団式が平安神宮で行われる。
1916年8月 京都少年義勇軍によって日本のボーイスカウトによる初野営(キャンプ)が琵琶湖畔の雄松崎(滋賀県志賀町)で行われる。
1917年 訪英した二荒芳徳がスカウト本部を訪問。
1920年 第1回世界ジャンボリー。

日本からは「東京少年団」の小柴博、「北海道岩内少年団」の下田豊松、「横浜インターナショナル隊」の鈴木慎(鈴木リチャード)の3名が参加。

1921年 

ロンドンにおいて、昭和天皇(当時は皇太子)にB-Pが謁見し、英国ボーイスカウトの最高功労章であるシルバーウルフ章を贈呈する。

1922年

4月13日-14日 静岡で第1回全国少年団大会が開催され、ボーイスカウト、各地の子供会、宗教少年部、日曜学校少年団などが統合され「少年団日本連盟」が発足。総裁は後藤新平男爵、副理事長に三島通陽が就任。
4月15日?17日 英国エドワード・アルバート皇太子を迎え、東京で全国少年団員団技大会を開催。

1923年

関東大震災。少年団日本連盟による救援・奉仕活動が行われる。
神戸市に日本人が組織した最初のウルフカブである「須磨向上会ウルフカブ」が誕生。
副理事長の三島通陽の妻の純らが中心となり、「少年団日本連盟」の女子向け組織(ガールスカウト組織)として、「日本女子補導団」が設立。

1924年

第2回世界ジャンボリーおよび第3回国際会議に三島通陽ら24名参加。ボーイスカウト国際事務局に正式加盟。その後、佐野常羽がギルウェル実修所に入所。(日本人初)
8月 福島県で第1回全国野営大会を開催。後藤新平総裁を初代総長に推戴。
12月 連盟歌『花は薫るよ』(作曲:山田耕筰、作詞:葛原しげる)を採用。少年団日本連盟に「海洋部」を創設。

1925年 第1回指導者訓練所を山中湖畔で開設。ちかい(宣誓)とおきてを制定。
1928年 日本連盟加盟規則の改訂。これにより、連盟に加盟する団体を3つ(ボーイスカウトの宣誓とおきてを採用した諸団体、前項と同様の海洋諸団体、それ以外の団体)に分ける、いわゆる“三部制”がしかれる。
1929年 第3回世界ジャンボリーに佐野常羽以下28名が参加。
1931年 佐野常羽がB-Pよりシルバーウルフ章を贈られる(同章を受けた日本人は昭和天皇と佐野の2名のみである)。
1932年 "三指礼問題"が勃発(当時の反米反英世論にのった軍関係者が、「敬礼とは五指であるべきで、英国かぶれの三指礼はやめるべきだ」とボーイスカウトの三指礼を批判・攻撃。同年10月20日の大阪毎日新聞に同趣旨の記事が掲載される)。
1935年 7月 少年団日本連盟が財団法人化して「大日本少年団連盟」に改称。
1938年 海洋健児部が「大日本海洋少年団連盟」として分離発足。
1941年 1月 政府の方針により、大日本少年団連盟、大日本青年団、大日本連合女子青年団、帝国少年団協会を解体し「大日本青少年団」に統合。初代団長は文部大臣・橋田邦彦。
1942年 6月 大日本青少年団が大政翼賛会の傘下となる。少年団体の統合に反対する旧・日本少年団連盟関係者が「財団法人健志会」を発足。
1945年

6月 大日本青少年団が解散し、全団員は「大日本学徒隊」に再編される。
8月15日 第二次世界大戦が終戦。

1946年

2月 三島通陽らがボーイスカウトクラブの研究会を開催。
12月 民間情報教育局(CIE)が関東におけるボーイスカウト運動の再建を承認。

1947年 1月 GHQの許可を受け、東京と横浜で活動再開。

1949年

4月 財団法人健志会を基として財団設立認可が下り、「財団法人ボーイスカウト日本連盟」が再発足。(通常総会でマッカーサー元帥を名誉総長に推挙)
9月 全日本ボーイスカウト大会(後の日本ジャンボリー)が皇居前広場で開催。

1950年

6月30日 ボーイスカウト国際連盟に復帰。
10月 三島通陽が三島家別荘(栃木県那須塩原市)の土地と家屋を日本連盟に譲渡し、11月に那須野営場が開設される。

1951年 三島通陽が第4代総長に就任。1級スカウトの上に菊、隼、不二(富士)スカウトが出来る。
1952年 カブ、シニアー、ローバーの各プログラムを制定。
1956年 第1回日本ジャンボリー開催(長野県軽井沢町)。
1962年 B-P夫人オレブ・ベーデン=パウエルが来日(訪日は1962年と1966年の2回)。1971年8月 第13回世界ジャンボリーが日本(静岡県富士宮市)で開催され、富士山麓朝霧高原に87カ国約23000人の青少年が集った。その跡地には静岡県立朝霧野外活動センターが建立されている。
1972年 ボーイスカウト日本連盟創立50周年パレードが東京・銀座で実施された。沖縄のボーイスカウトが日本連盟へ正式移管される。
1973年 第1回日本アグーナリー(国際障害スカウトキャンプ大会)開催(愛知青少年公園、現在:愛・地球博公園)。
1984年 第1回シニアースカウト大会(日本ベンチャー)開催。(南蔵王山麓)
1988年 12項目あった「おきて」が8項目に整理統合される。

 ちかい
 私は、名誉にかけて、次の3条の実行をちかいます。
 1.神(仏)と国とに誠を尽くしおきてを守ります。
 1.いつも、他の人々をたすけます。
 1.からだを強くし、心をすこやかに、徳を養います。
 
 おきて
 1.スカウトは誠実である
 2.スカウトは友情にあつい
 3.スカウトは礼儀正しい
 4.スカウトは親切である
 5.スカウトは快活である
 6.スカウトは質素である
 7.スカウトは勇敢である
 8.スカウトは感謝の心を持つ

1991年 9月15日を「スカウトの日」として制定し、全国的な奉仕活動を展開する日とした。ローバースカウト部門(18歳以上)への女子の参加が認められる。
1995年 ビーバー隊から指導者までのすべての部門において、女子の加盟登録が認められる。
2001年5月

----------------------------------------------------------------------------------------------
''<田村文洋的オススメ!バックパックならここに行け!!>''
田村文洋はこれまで様々な地域をまわってきたそうだが、そのなかから「これからバックパッカーをする人たちにオススメしたい国や場所」をまとめたらしいので、そこからいくつかピックアップして以下でご紹介していきます!
■素人編
''☆タイ''
”タイは旅をするのにおすすめの地です。

なぜなら治安はもちろん、交通機関やネット使用においても一人旅をしやすい環境がすでに整っている国と言えるからです。

また、世界中から集まってくる旅人達との交流を含め、容易に異文化を体験できるなど、タイを旅することによって得られる経験は多いです。

気軽に海外に行ける時代だからこそ、機会があれば躊躇せず旅に出てみるべきでしょう。”
●バックパックメモ
・日本からタイ(スワンナプーム国際空港)への移動時間:片道7時間
・日本との時差:2時間
・格安ツアーを利用した場合の費用:ひとりあたり¥50,000~(予想)
●ここは見るべき!
タイの醍醐味といえば、壮大な寺院や昔ながらの自然と人間が一体になった文化を首都でも目にできるなど、とにかく東京では絶対にお目にかかれない景色が存分にたのしめるところでしょう!

''☆ベトナム''
ベトナムのおすすめポイントは、なんといっても「女性人気が高い」ところ!
田村文洋氏によると、「女性の満足度が高いので、バックパック初心者にピッタリ」とのこと。
食事も日本人の味覚に合ったものが多いので、まずは気軽に遊びに行くつもりでバックパックしてみると良いかもしれませんね。
●バックパックメモ
・日本からベトナムへの移動時間:片道約6時間程度
・日本との時差:2時間
・格安ツアーを利用した場合の費用:ひとりあたり¥50,000~(予想)
●ここは見るべき!
ハノイにある美しいビーチやホーチミンのドンコイ通りなど、リゾート気分と現地の人々の気分がいっぺんに味わえるところがベトナムの魅力、と田村文洋氏は語っていました。
特にドンコイ通りは、観光客向けのショッピングモールの他に大衆店もあるので、いちど足を運んでみては?

''☆インド''
世界中のバックパッカーが集う、その名も「バックパッカーの聖地」インド。
しかし、治安の悪さなど不安要素はあるものの、インドに行った人間が感じる「人生観の変化」を味わうため、困難を乗り越えるの悪くはないかも!
●バックパックメモ
日本からインドへの移動時間:片道10時間程度
・日本との時差:3時間半
・格安ツアーを利用した場合の費用:ひとりあたり¥50,000~(予想)
●ここは見るべき!
インドといえば数々のパワースポット!ガンジス川で身体を清めたり、パワースポットで英気を養ったりという神聖な体験をすれば、あなたのバックパッカーデビューはかけがえのないものになるかもしれません。

''☆中国''
日本人にとって馴染みのある国、中国は、間違いなく美味しい食事や漢字を用いるコミュニケーションが人気の秘密!
じつは、中国と日本は距離がとても近いからこそ、わざわざバックパッカーに訪れる人間は意外と少ない。
これを機に、あなたがまだ知らない中国の一面をのぞいてみては?
●バクパックメモ
・日本から中国への移動時間:片道4時間程度
・日本との時差:1時間
・格安ツアーを利用した場合の費用:ひとりあたり¥50,000~(予想)
●ここは見るべき!
中国では国内でも馴染みのある食べものを安価で購入できるのでつい手を出してしまいそうになると思いますが、せっかくバックパッカーとして訪れたので、現地の方とコミュニケーションをとってみては?最近では英語が話せる人も増えたようなので、勇気を出して声をかけてみると、良い思い出づくりになるかも。
-----------------------------------------------------------------------------------------------



''旅''

概説

広辞苑によると、旅とは、定まった地を離れて、ひととき他の土地(場所)へゆくこと、である。大辞泉には「住んでいる所を離れて、よその土地を訪れること」とある。 

柳田國男によれば、旅の原型は租庸調を納めに行く道のりのことである。食料や寝床は毎日その場で調達しなければならないものであり、道沿いの民家に交易を求める(物乞いをする)際に、「給べ(たべ)」(「給ふ〔たまう〕」の謙譲語)といっていたことが語源であると考えられる、と柳田は述べている。

旅の歴史を遡って概観してみれば、人類は狩猟採集時代から食糧を得るために旅をしていたのであり、農耕が行われる時代になった後も、すべての人々が定住していたわけではなく、猟人、山人、漁師などは食糧採集のための旅を行っていた。 その後、宗教的な目的の旅がさかんに行われていた時代があり、ヨーロッパでは4世紀ころには巡礼が始まっていた。日本でも平安時代末ころには巡礼が行われるようになった。イギリスでは近世になると裕福市民層の子が学業仕上げのグランドツアーや家庭教師同伴の長期にわたる海外遊学などを行うようになった。日本では江戸時代にいくつもの街道が整備され、馬や駕籠も整備され、治安も改善されたので、旅がさかんになった。 近代になり西欧で鉄道や汽船などの交通手段が発達すると、ますます旅はさかんになった。

現在の旅は非常に多様であり、さまざまに分類することが可能である。

歴史

現代では一般庶民にも移動の自由が公に認められているわけであるが、昔はそうではない場合のほうが多く、人々は宗教的な巡礼、神社仏閣への参拝を理由に旅をすることが多かった。

ヨーロッパでは4世紀ごろには巡礼が始まっており、中世にはキリストの聖杯・聖遺物、あるいはその使徒の遺物が安置されているといわれる大聖堂、修道院への巡礼が盛んに行われるようになっていた。主な巡礼路には、旅する人に宿泊場所を提供し世話をしたり、旅の途中で病になってしまった人をケアするための施設も造られていた(これが、現在のホスピスや病院の起源である)。

日本では8世紀ごろから西国三十三所、四国八十八箇所巡礼などが行われるようになった。

また、近世に入ってからは、イギリスの裕福な市民層の師弟の学業の仕上げとしての「グランドツアー」、家庭教師同伴の長期にわたる海外遊学が広く行われるようになり、それを世話する業者である旅行代理店が登場した。今日も存続しているトーマス・クック・グループは当時の創業になる。また、こうした流行が明治以降の日本に輸入されて、学校の修学旅行になった。

また、アメリカでは19世紀には金鉱の発見などにより、「西部開拓」という大移動、旅行ブーム(ゴールドラッシュ)を引き起こし、以後、放浪者、「ホーボー」や、ビートニクなどの運動でも旅行は新しい文化の呼び水になった。(ただし、21世紀現代の米国ではパスポート保持者は全国民の3割に過ぎず、外国へ旅行する人の半数は、行き先が、2007年までパスポートが不要だったカナダとメキシコだったという。)

日本
狩猟時代、人々は食糧採集のために旅をしており、鳥獣を追って山野を歩き、魚をとるために川を上下した。弥生時代に入ると農民は定住したものの、猟人、山人、漁師などによって食糧採集の旅は続けられており、また農民以外の職は行商人であったり歩き職人であったりした[6]。というのは当時は人口が少なく、待っていても仕事にならず、旅をして新しい客をつねに開拓する必要があったからである。中世から近世にかけては店をかまえる居商人がしだいに増えたものの、かわらず旅をする商人・職人も多かった[6](例えば、富山の薬売りなど)ほか、芸能民、琵琶法師、瞽女等々もいた。

行政によって強制された旅も多かった。防人では東国の民衆がはるばる九州まで赴いた。また庸調などの貢納品(租庸調という一種の税金)の運搬で、重い荷物を背負って都まで行かねばならず、途中で食糧もつき命を落とす者が絶えなかった。近世に入り、運送の専門業者が出現したことで、こうした貢納のための強制された旅は激減した。

やがて自由に自発的に行う旅が生まれ発展していった。平安時代末期までは交通の環境は苛酷なまでに厳しかったので旅は苦しく、かつ危険であったのであるが、こうした苦難な旅をするのには強い動機があったわけで、それはほかならぬ信仰であった。僧侶は修行や伝道のために旅をし、一般人は社寺に参詣するために旅をした。平安末から鎌倉時代は特に熊野詣が盛んであった。室町時代以降、伊勢参りが盛んになり、また西国三十三所、四国八十八箇所のお遍路などが盛んになった。